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サッカー日本代表の強化の為に帰化して欲しかった外国人選手といえば??

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1: 2020/11/03(火) 22:59:07.37 ID:CAP_USER9
 サッカー日本代表・森保ジャパンが活動を再開させた。オール海外組で臨んだ10月のオランダ遠征では、カメルーン、コートジボワールというアフリカの強豪国相手に1勝1分けという好結果で終えた一方、特に攻撃陣に対して物足りなさを感じたファンも多いだろう。そして、この停滞感を打破する有効な手段の一つに「帰化選手の代表招集」がある。移民や二重国籍を持つ選手が多い欧州強豪国だけでなく、近年はアジアでもカタールや中国が積極的に推し進めている戦力強化策だ。

 日本においても、古くは吉村大志郎(ネルソン吉村)、与那城ジョージ、ラモス瑠偉に始まり、日本代表がW杯に初出場した1998年フランス大会以降、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王が帰化選手としてW杯に出場した。そして現在は、J3、J2で得点王となって今季から浦和に加入したFWレオナルド、日本通算8年目のガンバ大阪所属のFWパトリックなどが、日本帰化の希望を明らかにしている。ただ、日本への帰化条件は他国よりも厳しく、「引き続き5年以上日本に住所を有すること」のほか、「日本語能力」や「素行善良」などが求められ、それが故にこれまでも日本帰化の希望を口にしながらも実現しなかった事例も多い。

 まず思い出されるのが、爆発的なスピードでゴールを量産したブラジル人FWエメルソンだ。2000年に22歳で来日し、札幌、川崎、浦和の3クラブで計6年間プレーし、リーグ戦J1通算100試合71得点。J2通算52試合50得点をマーク。J1得点王に輝いた浦和時代の2004年に帰化の話題が持ち上がり、本人の前向きなコメントも伝えられていたが、その後の手続きは一向に進まず、いつしか立ち消えになった。悪童ぶりも目立ち、最終的には中東からの巨額オファーでカタールへと渡った(その後、カタール国籍を取得するもFIFAより代表資格なしを通達された)が、もしエメルソンが真面目に帰化へ向けて努力していれば、失意に暮れた2006年ドイツW杯に違った結末があったかも知れない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/daeeb3003c0ce653f176e476caa1e3542a60c9d0
1/3(火) 17:00配信

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https://www.youtube.com/watch?v=T58pkMU1pus

エメルソン 全盛期浦和レッズ時代のスーパープレー集

 

3: 2020/11/03(火) 22:59:24.47 ID:8eb9rLdB0
2005年のJ1・J2入れ替え戦(第2戦)で6ゴールを叩き込んだFWバレーも、日本への帰化という可能性があったブラジル人だ。2001年に19歳で初来日してプロのキャリアをスタートさせ、2003年に再来日し、大宮、甲府、G大阪でプレー。身長190センチのフィジカルの強さに豊かなスピードを兼ね備えたパワフルな突破力を武器にゴールを量産。来日当初は技術的な拙さも目についたが、Jリーグの舞台で成長を続け、最終的にJ1通算117試合56得点、J2通算152試合71得点を記録した。2008年8月にエメルソンと同じく中東のオイルマネーに引き抜かれる形となったが、性格的も真面目で日本語の勉強にも励んでいたことから、あのままJリーグでのプレーを続けていれば、あるいは2010年の南アフリカW杯の1トップは、本田圭佑ではなかったかも知れない。

 元ブラジル代表のFWフッキにも一時期、日本帰化の噂があった。2005年に18歳で来日し、川崎、札幌、東京Vで計4年間プレーし、強靭なフィジカルとパワフルな左足シュートで相手DF&GKを蹴散らしながら、J1通算22試合8得点、J2通算80試合62得点を記録。エメルソン同様にトラブルメーカーでもあり、起用法やレフェリイングに対して不満を募らせて「Jリーグ、無理」と言い放ち退団したが、その後、FCポルト(ポルトガル)、ゼニト(ロシア)で活躍して自らの実力を証明。2009年にブラジル代表に初選出されると、2014年のブラジルW杯に母国代表として出場した。キャリア的にJリーグから世界へと巣立っただけに、もし日本のサッカーと文化に馴染むことができていれば、サムライブルーのユニフォームを着て母国凱旋、そして日本を決勝トーナメント進出に導くストーリーがあったかも知れない。

 

4: 2020/11/03(火) 22:59:37.75 ID:8eb9rLdB0
その他、Jリーグの在籍年数で考えれば、2人のブラジル人、シジクレイとドゥトラの帰化を想像してしまう。1997年に24歳で来日したシジクレイは、山形、京都、大分、神戸、G大阪で2009年までの計13年間、日本でプレーしたセンターバック。G大阪時代の2005年には外国人選手としてはクラブ史上初のキャプテンとしてチームのリーグ初優勝に大きく貢献するなど、身長187センチの強靭な肉体に優れた戦術眼と判断力でDFラインを統率し、J1・J2・JFLを合わせてリーグ戦通算373試合に出場した。シジクレイが帰化していれば、日本代表が最も苦手としたパワープレイを平然と跳ね返してくれたはずだ。

 2001年に28歳で来日したドゥトラは、横浜FMで計9年間プレーしてリーグ戦213試合に出場した。若かりし頃は母国で、あのロベルト・カルロスと同等の期待を受けていた逸材だが、ブラジル代表の経歴はなし。もし、もう少し若い頃に来日して帰化が実現していれば、「日本の左サイドバック=長友佑都」という時代は訪れなかったかも知れない。

5: 2020/11/03(火) 22:59:45.19 ID:8eb9rLdB0
 ここに挙げた選手たちは、もう過去の選手たちであるが、今後に関してはまだまだ多くの選択肢と可能性がある。親族に日本人のいない選手が帰化することに対して賛否はあるが、これまでの日本サッカーの発展の中で帰化選手の存在が欠かせなかったことは確かであり、競技は違うがラグビー日本代表の活躍で、その効果と成果も改めて証明された。今後、日本代表が目標とする「W杯4強入り」の実現に向けて、「帰化選手の代表招集」をチーム強化の手段として考える必要もあるかもしれない。


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Source: SAMURAI Footballers
サッカー日本代表の強化の為に帰化して欲しかった外国人選手といえば??

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