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【悲報】松井秀喜さん、巨人に行きたくなさ過ぎてむせび泣いていた…

投稿日:

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引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1602052628/

1: 風吹けば名無し 2020/10/07(水) 15:37:08.74 ID:Iumr2qOJ0
ドラフト直後、18歳の松井秀喜が校舎の非常階段で漏らした悲哀 「僕、行かなきゃいけませんかね?」
10/7(水) 11:05配信

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 何とも言えぬ寂しそうなあの顔は、今でもハッキリと覚えている。そして18歳の少年は、確かにこう言った。

「僕、行かなきゃいけませんかね?」と。

2: 風吹けば名無し 2020/10/07(水) 15:37:27.96 ID:Iumr2qOJ0
1992年11月21日。新高輪プリンスホテルで、第28回ドラフト会議が開催された。当時、在阪スポーツ紙の駆け出し記者だった私は、石川県の星稜高校にいた。7、8月は担当球団を離れ、臨時の「松井番」。ゴジラと呼ばれた松井秀喜と、北陸に初めて深紅の大優勝旗を持ち帰りたいと燃える星稜を追っていた。石川県大会の試合があるたびに、大阪から金沢まで特急雷鳥に乗り、勝ち上がるチームと打ちまくるゴジラを記事にしてきた。

 順当に甲子園まで勝ち進み、あの明徳義塾戦も取材した。アルプススタンドから投げ込まれた無数のメガホンと、悲しそうに拾い集める部員の背中。怒号が飛び交う中、4番打者が5度目の打席でもバットを振らせてもらえなかった。1点が届かず、三塁側ベンチ前で相手の校歌を聴かされた。悲運の5番打者が、その先の人生でとてつもない重荷を背負うことになった。

 異様なムードで始まった敗退のお立ち台で、松井少年は泰然と受け答えした。熱くなっていたのはむしろ記者の方であり、淡々と一塁に歩き続けた少年は、泣くわけでなく、明徳義塾の戦法をののしるわけでもなく。あの大物感こそが、惜敗を伝説にした。

3: 風吹けば名無し 2020/10/07(水) 15:37:52.16 ID:Iumr2qOJ0
本当に行きたいところは1つだけ
 それから97日後に人生が決まった。プロには行くと決めていたが、本当に行きたいところは1つだけだということは、誰でも知っていた。まねたわけではないが、同じ右投げ左打ち。幼き頃、掛布雅之の31番をプリントしたシャツを着て、野を駆け回っていた。事前の指名決定あいさつでも、阪神だけテンションが違っていた。「佐野さんが来る! 佐野さんですよ!」と担当スカウトだった佐野仙好の名を連呼し、ほおを赤らめていた。

中日、ダイエー、阪神、巨人。開封
 阪神がもっとしたたかな球団なら、競争率は下げられたことだろう。むしろゴジラの恋心を知っていたくせに、決定は遅れた。天下の巨人を袖にはできない。ダイエーと中日はOBがお世話になっている。サプライズはなく、予想通りの4球団競合。中日、ダイエー、阪神、巨人の順で抽選が始まった。

 中日だけが中山了球団社長、ダイエーは根本陸夫新監督、阪神が中村勝広監督で巨人が長嶋茂雄監督だった。全員が右手で封筒を引き抜いた。開封。しばし間を置き、ミスターが笑顔のサムアップ。野球界の歴史が刻まれた。

 北陸新幹線開通前。ミスターは電話をかけ、甲高い声で喜びを伝えた。会見、胴上げ。華やかな儀式は滞りなく終了した。晩秋の夜。なぜか校舎の非常階段で私と松井が2人きりになっていた。両手には缶ジュースが1本ずつ。「飲みますか?」と差し出され、受け取った。そして冒頭の言葉を投げかけられたのである。

 相談。のわけがない。もし「断っちゃえよ」とそそのかしたとしても、歴史は何1つ書き換えられていない。諦観。本当は同意してほしかったのか。そんなに阪神に行きたかったのか……。駆け出し記者はうろたえながら「そりゃそうでしょ」とゴニョゴニョ言うのが精いっぱいだった。

5: 風吹けば名無し 2020/10/07(水) 15:38:15.33 ID:Iumr2qOJ0
中村監督は重なっていた2通の下を選んだ
 歴史を書き換えられる隙間があったとすれば、抽選だろう。4氏の誰もが「当たり」の封筒に指先を触れたことになる。中村監督は2分の1。重なっていた2通の下を選んだと知っている。このドラフトの後日談として、ご本人から聞いたからだ。

「なんで下を引いたかわかるか? オレは(ドラフト会場の)東京に新幹線で入っただろ? だから下から、下からってね」

「甲子園の浜風を止めてくれたらね」
 この話を聞いたとき、松井の思いを知っていただけに切なくなった。当時の阪神は高知県安芸市で秋季キャンプを行っており、大の飛行機嫌いだった中村監督は、岡山経由で陸路上京した。だから下。それはいい。どちらを選ぼうと当たるときは当たる。外れるときは外れる。ただ、上を選べという声は聞こえなかったか。なぜなら、このときの中村監督を乗せた新幹線は、架線事故のため浜松付近で1、2時間足止めを食らっている。「下はダメ」。神託。一度きりのチャンスをスルーした瞬間、歴史は定まったのだ。

 後年、すっかり巨人の中心打者に成長した松井と、甲子園で再会した。こちらの「阪神にFAで来る?」。取材。のわけがない。答えはわかっている。ただ、軽口にこう返されたのは覚えている。「甲子園の浜風を止めてくれたらね」。言うまでもなく左の強打者には敵の風。残るべくして残った「当たり」を師はつかみ、少年は運命を受け入れ弟子となった。のちにそろって国民栄誉賞。もし、非常階段での言葉が相談だったとしても、今なら迷わず「行け」と背を押す。何人たりとも書き換えてはいけない歴史なのだから。

【この記事の写真】 星稜高校から巨人へ進んだ松井秀喜。始球式で広末涼子をエスコートする姿も… へ

6: 風吹けば名無し 2020/10/07(水) 15:38:45.10 ID:Iumr2qOJ0


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Source: なんJ PRIDE
【悲報】松井秀喜さん、巨人に行きたくなさ過ぎてむせび泣いていた…

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